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あるタレントの差別発言が問題となっている。それは端的にいうと、自分にとって猫の命はホームレスや生活保護受給者よりも大事なものであるということ、そしてホームレスたちの命はそれに比べて軽いというものである。このような発言が差別的であると指摘され、インターネット上で騒動になった。この騒動に対して、当事者のタレントは謝罪と反論を行なったが、それによれば、どんな綺麗事を並べ立てても命には主観的で相対的な優劣があるという、そしてその価値基準に照らすと、猫の命はホームレスよりも大事であるという。そして、批難者の誰よりも、自分はホームレスや生活保護受給者に対して貢献を行なっている割合が高い。それゆえ、批難者の綺麗事は説得力に欠けるというわけだ。
現代社会において、多くは相対主義に依って判断しているように見える。価値観は相対的であり、人それぞれであるという考えが主流である。一方で、今回の問題のようにある一人の思考について、間違っていると指摘できるのは価値の相対性に基づいているのではあり得ない。なぜなら、ある命題は間違っているか正しいかのいずれかだからである。それが間違っているという指摘は、より間違っているとかより正しいということを一切含意しない。
あるタレントの発言は命を相対的価値観のもとで捉えていると考えてよい。価値観は人それぞれであるということ、そしてそれに基づくと自分にとって猫の生命はある社会的地位の人間ーホームレスや生活保護受給者ーよりも大切であるのだ。しかし多くの人間は人間の、その個々の命をなにものにも代え難いものとみなしている、すなわち人間の命に絶対的価値を与えている。誰であれ、いかなる人の命をも犯すべからず、といわれる。そうしてみると、この騒動は人間の命が相対的価値か絶対的価値かという問題として捉えることができる。ならば、自ずと答えが見えてくる(と私は思っている)。
当のタレントは猫の命が大切であることを説明するために、その比較対象としてホームレスや生活保護受給者を持ち出すべきでなかった。自分にとって、猫の命は大切であるというだけならば、誰もが理解しうる。身近な人間の命を他の誰よりも優先するという考えも理解できるだろう。しかし、ホームレスや生活保護受給者の命は軽いという判断は全く必要なかったのである。一方の命が重いという理由で、一方の命が軽いとはならない。それが人間の命が絶対的価値であるということの意味でもある。仮に私が災害に遭い、多くの被災者のなかで奇跡的に家族だけ助けることができたとしても、私は救うことができなかった多くの命に対して申し訳なく思うだろう。なぜなら、いかなる人間の命も大切だからである。
ところで、当のタレントの思考の錯誤についてこれ以上、指摘する意味はないだろう。ましてや憶測に基づくだけの批難など無益。彼の築いたキャリアをこの束の間の誤りのために台無しにする理由はいかなる人間も持っていない、と私は思うのだが。
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炎暑の蝉が生を尽くして合唱する。積乱雲のいかめしい、思いを深く秘めた複雑な表情、空は鮮明に青々として輝いて。指に張り付く蟷螂と徒らに過ごした夢がよみがえる。栄えるものはいずれも朽ちる、生きた証を台風が持ち去ろうと、東の空を灰色に闇雲で染めてゆく。栄えるものは朽ち、ことばは若々しい色味を失うが、その心根は土塊の奥に沈みながらもなお、深く呼吸し続ける。