2021/02/25

1764.

I dive into melancholy and am objectively conscious of myself. Though I don’t understand it, this melancholy makes me comfortable a little. It’s like my being in deep blue.

2021/02/14

1763.

伏目の月の山枕
すみやかにすさぶ風
萬の夜を研いで春

矢のごとく往く時を追い
腕を脚をそのかたちを
ひとへに愛でる

燦々たる日照りに
燃える背中
思いに浮かぶ花火の跡

わかれた枝の先々の思い
届かぬもの届くもの
みな冬めいて星と光る

2021/02/12

1762.

 天気の移り変わりが早く、昨日の嵐も嘘のよう。雲小さくたゆたう青空が目一杯に広がる。鳥たちが入り江を横切り、山へ向かって飛んでゆく。

風が春の装いをして吹けば、服がなびいて人影が踊る。この風にちょうど良い音楽を知っている。だからわたしはそれを聴きながら、堤防で仰向けになって空を見ていた。

2021/02/11

1761.

 嵐の日、雨音が瞬きの間を満たす日。
カーテンの隙間から明るい時間が
けむりのようにながれてくる。
静寂の呼吸のさなかに触れる、
明るい空気。
朝日の居処を知る光たち。
音楽の隙間にいるような心地して、
脱け殻のなかで瞑目し耳を澄ます。
眠気がまた歩くように
遠く向こうからやってくる。


2021/02/10

1760.

二月もなかば。立春を呼ぶ声に背筋を張った風が吹き返す。あたたかさのために、深い眠りについていた草木たちが目を覚まして。

今日は曇り空。いまだ心の執着がわたしの意に反して、また呼吸の落ち着きに逆らってさまざまな臆見を産みだしている。
聞いてもいないことを本当のことだと思ったり、むかしの話を疑ったり。根拠のないことがらをさも本当のことのように錯覚して、ふと我にかえってひどくつらい思いをする。ごめんなさい、と思う。
それでも「考えすぎだよ、今日」と自分自身に声をたびたびかけ慰めもして、ひと息、ふた息、数えている。

執着に対して、それによって産まれた臆見からは何も判断しないこと、そして執着を決して拒否しないこと。


2021/02/07

1759.

ストレスフルな日々が続く。たのしいことも緊張することも、癒されることもあるけれど、つねにどこかに、心のどこかに鈍く重たいものが沈んでいる。 人のことを考えすぎている。長閑な勤労生活とは真逆の心の世界に疲れる。

自分のことを考えよう、たくさんやり甲斐のあることにかこまれているじゃないか、そう思う心も、その他面では、遠く離れて結ばれた人間関係に執着し続けている。 

 執着心の鼓動を無視することはむずかしい。感情はどうしようもなく働き続けるのだ。 環境世界はあまりに刺激で満ちている。いったん生起した感情は濁流のように激しく流動する。自分を律するには環境もまた律しなくてはままならないのだ。

2021/02/03

1758.

音楽、絵画、文筆、それぞれがわたしを異なった仕方で表現する。わたしがいま聴いている音楽もときにまた、わたしをよく表現する。 

この世界はたくさんの、測り知れないほどの音楽であふれていて、しかも有難いことに現実に聴くことができる。たのしいときもしあわせなときも、かなしくつらいときも、わたしにあなたに寄り添ってくれる、音楽。

音楽をとおして、うれしさもかなしみさえも、ひとつひとつの感情がきらきらとすてきに輝いてみえる。 そうして、すばらしき輝きに充たされたわたしは次第に没し、果たして消えてゆく。わたしの死はそのようであるのかしれない。わたしの死、それは真っ白な死。そのときまで音楽が寄り添ってくれたらいいな、と思う。

2021/02/02

1757.

朝のまぶしくもやさしい太陽の光をからだを広げて全身で受けとるように、わたしはあなたのせかいを受けとっています。

2021/02/01

1756.

二月になった。立春もすぐだ。鶯が鳴く。初音の時季は手の先に見える春の、心への到来を待ち遠しく思って、日が過ぎるのがほんの少し遅く感じる。振り返ると、早くもひと月が過ぎたという。不思議なことだ。 人類に避けられぬ破局があるように(その問題群はますます増えていくようにさえみえる)、個々の人間にも避けられぬ別れというものがある。 老いぬればさらぬ別れのありといへば いよいよ見まくほしき君かな と昔の人は歌っている。 わたしは出会いと別れの人生だと自分自身を運命づけていたが、自分の言動を反省すると、やっぱり人と別れるのはつらいことだと思っているところがある。しかも別れということばのなかで、死別の影はひどく薄い。死別は避けられない別れだけれど、わたしにとってはあまりに遠いことのように感じる。身近に人を亡くしてさえいても、今日挨拶をした人が明日死ぬということは想像しがたいものであるし、仮にことばで理解できたとしても、それを信じているとは到底言うことができない。出会いと別れが話題となればまた人は一期一会と言うけれど、それは会得しがたいことばのようにも思える。一期一会はいつも過去から思い出されることばであって、未来に向けられたことばではない、と。 でも、もし明日死ぬのだと(信じているのではなく)知っているのであれば。 人類の来るべき破局を人間の別れに置き換えるのは安易な思考にちがいないけれど、破局について書かれた本(『ありえないことが現実になるとき』)を読んで、ぷかぷかと思い浮かぶことがいくつかあった。死別はその、ひとつ。 今日は外気温が20℃を超えた。