2019/04/28

1725.

高校のときに知り合った地元の友人で、その子は地元の大学に進学して自分は急き立って上京したので会うことも少なくなり、とうとう連絡先がなにひとつ残っていない人がいる。いまどうしているだろうと、平成のまもなく終わろうとしている頃にその子について思います。あるいは、同じように連絡先がなにひとつ残っていない人について思います。

そうするのも最近の出来事があってのことで、以前同じ講義を受けた子にとある研究会で再会できたのがどうも気に入ってしまいました。
きっといまでは身近な子の方でもいつかはなればなれになるうちに記憶がおぼろげとなって、私の方では地元の子に対するのと同じように回想する日が訪れるのでしょう。
だからといって、私以外の他の人間が忘れっぽいということはなく、おそらくはどこかで誰かが私のことをほんのちょっぴり思い出しているだろうと期待しているのです。そういう根拠は少なくともあって、それは私が連絡もせず、もはや連絡先すら残っていない人たちのことを名前と一緒にときどき思い出しているからです。

こう見えて、私は他人に対する過剰な関心を持っています。たとえば、私は街中の笑い声を非常に不愉快に感じます。それは自分のことを笑っているのではないかという反応を自然に起こしてしまうからです。このようすだから、たしかに私的な経験を根拠にすることは不安定なことですが、類推すれば、他人のことをふと思い出すようなことはそれほど特殊なことではないと思うのです。

しかし、邂逅のすぐとなりに別離を並べてしまうのは明らかに私の悪い癖で、この愚かな考えは中学校で祇園精舎の鐘の音を聞いたときからなにも変わっていないのです。

私はもしかして自分が他人の目を必要としていると、たとえ独立志向でもそうであると、考慮してみるべきなのかもしれない。

2019/04/21

1724.

夢をみた。
親と親戚のあいだの憎しみの関係に巻き込まれた私は、ナイフを持って斬りかかろうとする人間を手元のナイフで刺せ、と指示された。そして、親戚がやってきた。そのうしろにナイフを持った少女がいた。親を守る思いで、というよりも目の前の人間がナイフを持ってこちらに向かってくることの恐怖から、私は少女に近づいた。彼女は手を振り上げた。彼女の瞳に迷いが見えた。この子は誰だろう。私の知った人間ではない。憎しみもない。愛情も友情も。頭のなかでは、ナイフが皮膚を突いたときの手の感触がシミュレートされた。私は少女の持っていたナイフをその手から離すことに成功した。憎しみもない、怒りも悲しみも。恐怖もいつか失われていた。しかし私はナイフを彼女の胸に突き刺すことができず、少女の腕を掴んだ。感触のシミュレーションが効いたのか、それは無理だった。人を殺めるなんてことをできるわけがない。
生の人間を自分の手で殺めるということは尋常ではないのだとわかった。殺人をしたあとに自分が行ったことを自覚することがあるらしい。それは殺気が尋常ではないことを示しているように思える。どんな感情が正気の人間を殺人へと駆り立てるのだろう。夢から醒めて、そう思った。きっとその感情は太鼓の叩き方というよりもスイッチの切り替え方を知っているのだろう。

また、私は16歳の女の子が自殺をした話を聞いた。どんな感情が自殺の実行へ駆り立てるのだろう。同じようなことをそこでも思った。

さらには、もし私が銃を持っていたら、爆撃機に乗っていたら、そうしたら私は人を撃っただろうか。

ときおり、私は殺気を持った人に自分が襲われる場面や自衛をする場面を妄想するが、そのうちのあるとき、身体に妙な力が入ることを自覚したり、頭に血がのぼるのを感覚する。きっとその自覚と同時に感情や運動は制御されるのであろう。が、私はまた、制御の向こう側について何か得体の知れない怖いものをも悟るのである。

2019/04/13

1723.

けっきょく もどった。いくらかジャンルの垣根を越えて音楽を受容するけれど いつもクラシックに落ち着くのと同じで
四季をめぐるように わたしの思考はけっきょく 土の匂いのする 決して変わることのない原風景 それが見える場所へと戻るのだ。

ラフマニノフの6手のための「ロマンス」が映しだす 懐かしく 情熱を駆り立てるような 恋しい恋しい景色の その奥向こうのコンクリートに 雨がひんやりと音を響かせているのだ。



2019/04/03

1722.

あなたがわたしに鋭利な言葉を投げて、それでわたしの胸の左側でなにか針を刺されたような痛みを覚えたとしても、それでわたしの呼吸がいくらか危うくなったとしても、わたしは、あなたがわたしを傷つけたと、あなたのせいでわたしは傷ついたと、そのようなことをばなにひとつも思わないだろう。あなたの言葉でなくとも、きっとそうなるだろうから。そしてその一瞬のさいごのうちにわたしは、自分自身が平気であることを、強く自覚するだろう。

あなたのことばを受けてわたしはこうも感じるのだと、ただそれだけのことをさながら血管をじっと見つめるように自覚するだろう。

だから、気の済むまで言葉を吐き続けたらいい。言葉が尽きたら胃液を、胃液が尽きたらその臓器を吐き出せばいい。わたしはあなたをじっと見つめていたい。言葉が本当の無力を示すまでを。そして、わたしとあなただけが最後に残るときを、待っていたい。