2021/10/31

1790.

心と脳というふたつのことばがあり、それらをどちらかに還元する試みは結局のところ物理主義の立場を採らざるを得ない。それは脳という物理基盤なくしては心はありえないからである。
しかし、心と脳はそれぞれ別けて分析しなければいけない。なぜならそれらは異なる次元の概念だから。

心と脳ということばは同じものを表しているとか心は脳の働きに過ぎないといった判断は心という私秘の内なる現象と脳という外的現象を同じ次元での現象と見なすことに由来する。

2021/10/30

1789.

働きたい、愛したい、愛されたい、絵を描きたい、音楽をつくりたい、ことばを綴りたい。自己に由来する欲求はすべて思索と判断という営みのうえになければ、わたし自身を満たすことはできない。

2021/10/28

1788.

こういう人間なんだ、なんて言われるとそうなんだと思ってしまうけれど、その人の事実になるべく目を向ける。
よくわからないと呼ばれる人は実は単純なんだと思う。その外殻が粗いことばと感情の糸でいびつに絡まり合っている。本意はその殻のうちがわでひっそりひとり悶えていたり、うつくしく眠っていたりするのかなって。

2021/10/24

1787.


昨日の土曜日で終業した。沖縄でいっしょにお仕事をしていた方に紹介してもらった知床漁村のお仕事。以前に帯広で牧畜のお仕事をしていたころにとてもつらい思いをしたから北海道のお仕事は今回も不安だった。でもその不安はお仕事するうちに早々と消えていった。それどころか少しずつ、本当に少しずつ楽しさを抱いて魚に触れている自分がいた。それは明らかに周りの人たちのおかげだと思う。手ぼっこのぼくをどうかしてよく接してくれたのだから。それよりも、なにがあってもいつも笑い声の絶えない暖かな雰囲気が北海道の端っこで吹く寒風や岸壁にぶつかる波のはげしさと対比されて際立って素敵だった。そういう何気ない人々の交流の時間がこの上なく貴重に感じられて、来てよかったと思えた。

本当に来てよかったと思う、できればまた来年も。そしてこの知床で冬を過ごせたらいいな。お仕事は大変だ。手が腕が、その神経が破裂しそうでおっかない。でも未知のことを体験したり、できないことができるようになったり、できることが少しずつ増えていく楽しさや職場の人たちによくしてもらって。だからこそ無事に過ごせたと思う。だからこそ充実した日々を懸命に駆けていった。

できればもっと永く、そう思うこともある。寂しい、寂しいけれど次のお仕事がある。いろいろなお仕事に携わって、いろいろなことができるようになる、どこでもいつでも生きていけるようになりたい。だからがんばろう、次のお仕事も。来年のめぐる潮合を楽しみに。

2021/10/11

1786.

今日は大時化のため午前中でお仕事は終わり。
午後は手紙といっしょに羅臼昆布と沖縄の西表島で買った黒糖を知り合いに贈った。日の出づる地の涯からのおくりもの、喜んでくれるといいな。そしてこういう、遥か向こうの微かなつながりこそ自分にとっておきなんだと思えた。だれかをひねもす念頭に浮かばせておくのは結局、心が疲れる。ひたすらに気を遣うばかりで心は朽ちる。

人間関係にまつわる個性をしっかりとわたしに伝えてくれた女の子がいた。わたしも自分のことをもっと理解しないといけない、自分自身をもっと大切にしないと。
人間交際論ばかりが先回りする。あなたのことを知りたい、あなたといっしょに過ごしたい、傷つけたくない、幸せであってほしい、いっしょにより良い日々を過ごそう。人間であるよりもわたしであるようなものを大切にしないといけない。人間という殻を破って、鱗を剥いで、それからはらわたを握り締めて。


2021/10/10

1785.

この2年のあいだ、ちょうどコロナ禍の時代に私は恋心を燃やし続けていた。恋に敗れて散った心がひとつの季節が巡るたびに色を変えて、また新たな灯火を点ける。わたしは生真面目に人間を愛することしかできない。でもそれだってむずかしい、ね。
仕事に専念して出世したいといって一方的に別れを告げられたり、二人の時間をかさねてかさねたその頂きで、すでに交際相手がいることを告げられたり。涙と伴にこぼす彼女たちのことばは暗がりの喉奥から苦しそうに這いつくばって出てきて、それがとても人間らしくて愛おしいのだけれど、この2年のあいだ、だれひとりとして話し合うことすらままならなかった、それがわたしにはとてもつらい。

友人が交際していた職場の女性に友人の良いところを聞くと、その女性は「ちゃんと話し合えるところ」と応えていた。それなのに結局のところ、友人が一方的に別れたがって、交際関係が数ヶ月しか続かなかったのも二人の事情を知っていただけにかなしい。


話し合うことはむずかしいことだと思う。だれにでも言いづらいことがある。どんな受け入れる気概があると教えてもらっても、自分自身が引き金を引かない限り言えない。私も内心を他人に打ち明けるのが苦手だから。苦手だからこそ克服したいと努めているけれど。だけど、いちど親しくなった人間に心を閉ざされると心が痛む。

わたしの心はひどく疲れてしまっているけれど、わたしの心はまた、光を求めて自然と前に進むことができる。こういうことを言ってのけると、わたしは前からその点は変わっていないなと思う。わたしはやっぱり人生を、自分の人生を肯定的に生きている。