2020/02/29

1740.

月日のゆくえにしたがって、わたしたちはもうすこしでねむりにつく。

ええ、わたしもそろそろ。

たよりになるやわらかい寝床の、その心地良さに思わずうずくまった朝も、これからおこる風をときにはのどかに読んで、ときには心忘れて読んで、種蒔き萌芽によせたしげく期待も、二月の暮、閏日はやさしく受けいれた。

わたしは春の、晴れた空を見あげて、あなたを横に寝そべりたい。どんな本を読もうか。本を読むわたしを横に寝息を立てるあなたがいる。とこしえの陽となり、つかずはなれずのぬくもりであなたを抱いていたい。

鳥が鳴いたと識ってめざめる朝のしずけさが好き。うつりかわる時期ゆえの不安も、わたしたちならすっかりしずめてみせた。早とちりの似合わない二月の夜が延々とひろがってゆく。芽の「出たい」という、潑剌としたこころもちでその窮みに見たのは、よろこびも、かなしみも湛えたひかりのなみだ。

四方にわたるひかりの線が、かたちをかえながらわたしの目にせまる。次第にひかりはかさなりあって、ふたつとひとつと、わたしをあなたを、迎えにくるという。

きざみよく鳴る時計の音も、かすんでぼんやりと、ぼやけて、ぼうっとするうちに、消え失せて。

わたしたち、またすぐ童子さながらの表情で、日がのぼるのをみるだろうか。

ああ、そうだといいな。そうだといい。

2020/02/06

1739.

 如月の夜に吹く風は蕭々として冷たい。

春と冬の季節の淵で感情が高くうずまく、そんな忙しなさのなかで来たる季節を心のなかでよむ。しずかに、歩くような速さで。そう、たとえば肌をさす六花の音、あまいショコラのかおりよけて、風媒花の無言のいとなみに耳をかたむけたり。「おおかみこどもの雨と雪」のサントラを聴きながら、高木正勝さんの表現力に、感動したり。

寒さのいっそう強まるこの時季のときどきに、寒空のむこうから土面へ陽のさすことがある。生気がひさしくおこる。

いつの日か、わたしは他の生気を吸いとる鬼だと思ったことがあった。まわりの人間たちが次々と寿命を迎えたときである。わたしだけが生きて、生きつづけなければならない。「生きつづけなければならない」という、この感情にかくれた生命力はなんだろう。人が、身近な人が亡くなったというのに。あの人が亡くなるかわりに生気をいただいた、とでもいうのだろうか。このみなぎる活力は、この生きがいは。ああ、わたしは鬼だ、鬼のようだ、と自分が自らの生活のために人間の生命を吸いとる鬼のごとく思えたことがあった。

でも、そのような鬼までもが、冬はつとめて陽にあたらなければ自然と気が滅入るようです。身辺に横たわる気色のよくない音や言葉が、皮膚の穴という穴に冬籠りして、息が詰まりそうになる。

くわえて、人と関わることに諦める心も生まれる。なんだか疲れたなあ、そう思うこともあります。できるだけ姿を潜めて、スクレロチウム。春の陽光を夢見てひとやすみする。それもまた、この季節柄なのかもしれない。

そういう季節のなかで、寒空のむこうから午後の土面へ陽のさして、生気がひさしくおこったとき、身辺のかたく冷たい言葉がすこしながれていきました。日が経つにつれてきっと、氷がとけて山水が流れだすように、活力も湧くのかなあと、そう思うことにして、いつ起きるかもわからないふりをして、ねるのである。




2020/02/04

1738.

 服飾科の友人に以前、スマホで撮った写真を見せてもらった。花瓶が床におちたのを真上から撮った写真。突如として訪れた沈黙をそれは表していた。きれいにわれ、こなごなになり、無言で視覚に訴える力がある。空気にはじめて触れるような純粋さがわれめに見えもする。

いいね、とわたしが言うと、いいよね、と友人が返す。花瓶のわれたのを撮るのがすきらしい。いつか自分も、とあこがれて思うのだけれど、類似のものを貼りつけたような感性によっては、そうした瞬間を容易に見のがしてしまう。


***

近所の川沿いにちいさな商店街がある。そして商店の建ちならぶところにひとつ、瓦礫の山がある。大地震で家が倒壊したらしい。どういうわけか、それをそのままに残してある。

わたしは陽にさらされた瓦礫たちに想いを馳せてみる。そして、もとの場所はどこかとたずねてみる。同時に、そこにあるはずだった家のすがたを思念した。が、それはできなかった。ここにある、と瓦礫たちは示してくれるだけだったからである。

瓦礫は、ちょうどトカゲが切断された尾を再生しようとするような、自然が自己の空所をおぎなうような、そういう意志をまったくもたないのだろうか。もとはどこにあったかなんておしえてはくれない。ここにある、と示すだけなので、過去と現在を想像によってうかつに結びつけようとしたわたしは戸惑い、一日のこれまでのできごとをすっかり忘却することになる。だけどもそのときの、現実のまま夢を見るような束の間に、ことばの、イメージの、われる音がかすかに聞こえる。