当事者でいるよりも傍観者でいることを好む人間が存在する。そのような存在者が当事者としてふるまうことはありえても、彼らはやはり傍観することを、その俯瞰しうる視点を保とうとする。映画を観ている自分と周囲の存在を鑑賞中に意識したことはあるだろうか。「タイタニック」が上映されているときの、シアター5の天井はどのような色をしているだろうか。壁に伝わるサウンドの物理を感じるだろうか。休日の街のど真ん中で、暗い部屋のどこかに散らばった人たちの、そのうちの一人である自分を意識したことはあるだろうか。その存在者はきっと、良心や道徳観を動機に困っている人を助けるかもしれないが、やはり彼らは人助けをする人間としての自分をおよそ同時に意識せざるを得ないのである。
(私は特定の人間について述べているわけではない。憎しみを嫌う人間が決して憎しみを持たないなどということはないのと同じで、人はだれでも傍観者という存在者たりうるのである。)