具体的に覚えたり思い出すことに困難がある。例えば固有名詞、作品の名前や人名。それはもしかすれば、覚えられていないということだけであるかもしれないから、いっそうの困難に見える。というのは、困難ということがどういうことを意味するのか分からないからだ。
私は記憶力が問題であるとは思えない。受験時、英単語は誰よりも知っていたから、少なくともふつうの記憶力は持っている。また、ゼロから思い出すことはむずかしいにしても、何かしらのやり方で思い出すことは可能だ。つまり、私は忘却しているわけではないかもしれない。
記憶の仕方に問題があるのか、あるいは思い出すときのその仕方に問題があるのか。もしかすれば、そうであるかもしれない。
それとも、私は空間把握について思いを巡らす必要があるだろうか。というのも、ある芸術作品について、その名を覚えていることは困難でも、その作品の所蔵館を覚えていることは私にとって容易いからだ。
名前は覚えていることがむずかしいのかもしれない。そもそも私たちは、名前によって二つのものが異なることを知っているよりもはるかに、二つのものが異なることをニュアンスによって知っているような気がする。しかし、ニュアンスによってものの異なることを知るならば、私たちはひどく個別的な区別をせざるを得ないのではないか。人がそれぞれの区別をもつならば、人々はコミュニケーションをとることがいかにして可能なのか。
このような考えは、ニュアンスがもつとされる偶有性に由来する。ニュアンスとは、人それぞれにとって異なる内容を意味し、かつそれを他人と共有することはできないものであるという。
しかし、私たちが共有するのはニュアンスではなくて、区別のほうだ。それゆえにこそ、私たちは区別をあらわす名前を覚えようとする。そして、ある場合にはニュアンスによってものの異なることを知らなくとも、名前を覚えるということがあるかもしれず、その場合にはなかなか覚えていられないだろう。
問題は、ニュアンスはたしかに多種多様でありうるが、それはどれだけ多様でありうるのか、ということである。私は多種多様の基には普遍的なものを想定するのであるが、ニュアンスもまた、私たちが思っているほどに多様ではないということはありそうだ。