2019/02/28

1718.

いろいろが終わった。2月はあっという間に過ぎた。きっと身体が疲れていて、今日はよく眠れると思う。本当はもっと周到にものごとに対処することができるのに、その「本当」ってなんのことだろうと思った。

そういえば最近、「ジュリアン」というフランス映画を観た。ひさしぶりに良い映画を観た。秀作というと伝えたいことが紛れるけれど、でもそう呼ばれていたら、私もまた納得すると思う。静かな画面の奥に見える、深淵な緊張感はダンケルクを思い起こさせる。でも、結末は何にもまして心を震わせた。恐怖というのはたぶん死から推論されるようなものではないということを思った。それは推論に先行して生じるからである。
ちなみに私は父とほとんど話したことがなかった。気安く話しかけてはいけないと思っていたからだ。むかしの私は妄想癖が強かったから、リビングから聞こえる話し声はなにか私の悪口のように思えたりした。夜はいつ襲われてもいいように、うつ伏せになって寝ていたりもした。きっとお腹を刺されるよりはスムーズに死ねそうだと思ったからだ。これは私の気質だが、あるとき父が同じようなことを言うのを耳にしたとき、偶然に過ぎないにしても、強い結びつきを感じた。だからといって親密になることもなかった。たまに出てくる夢の中の父はよくしゃべるが、もし現実に目の前にいたら、今でも私は父と話すことをしないだろうと思う。

2019/02/13

1717.

本当は誰かのために書きたい。誰かのために描きたい。それがきっと、私にとっての意義であるだろう。目的もなしに書くのは退屈だ。それだけは忘れないでおこう。たとえ、今はなにひとつここに書く意欲がわかなくとも。

1716.

誰も知らないこと。雨降る冬の夜、ひとり、明かりを消した部屋で青葉市子の曲を聴いていること。布団に寝転がっていること。
誰も知らないこと。となりの研究室の人たちと恋話をしたのを思い出しながら、いま、感傷的な気持ちになっていること。ある人たちのなかから個人を特別に取り出すなどして、その人との思い出に耽ることもなく、心はぼんやりと人生の丘を登っていること。
誰も知らないこと。今日のニュースで同情心がひどく駆り立てられたこと。


2019/02/05

1715.

お気に入りのコートを着て街を歩いて、待ち合わせの最中にいきかう人たちを眺めていると、あたまが呆然としてたまらない。子どものころから、ねぼけまなこで人を黒板を見ていたけれど、いまもまだ夢うつつのまま、理性は立派にはたらくけれど、生きることを思い出しては忘れ、目をつむってしまう。風向きがよければ、ぼくもあたまの歯車を動かすこともできるのに。だからといって、風になんの期待をしたらいいのか、知るはずもなく。

自分で考えないやつはきらいだ。ぼくは自分で考えている。そして、多くをまちがっている。燃費のわるい中古車みたいに。


でも本当はいまや、自分で考えることなしに生きることのできる、そしてそれがふつうの時代なのかもしれない。

2019/02/02

1714.

アール・ハインズの曲が聴こえる。
夜の陽気な性格。
死んじまってもいい。
みんな、幸せなうちにそうだといいなと思うだろう。
おれはいま、そんな気分だ。
陽気な音楽をひたすら注いで、
脳髄から炭酸がぽくぽくとはじけるうちに、
いまこそ溶けちまおうって思うのさ。

まあきっと、今夜限りの気分だ。おやすみ。