2018/11/23

1710.

「また会いましょうね。」
という、わたしよりもうんと歳をかさねている人で、わたしよりもいっそう活気にあふれる方から言葉を頂いたので、わたしは嬉しく思った。自然のなりゆきがあるとはいえ、その終着点へ少しでも早く向かおうとする、こころの努めがある。今度は会えなかったけれど、わたしは来たる日のためによく過ごそうと思った。

およそ誰もが「一期一会」という言葉を知っている。
それはすでに結ばれたご縁を大切に扱うことを言うのでなしに、わたしたちの、ある機会に臨むさいの心がまえをいう。たとえば、それはときたまの食事会やデートに際しての心構えである。良き出会いがあったから「一期一会」というのではない。
「一期一会」という言葉は、毎秒と毎秒、あたまのなかに刻まれるべきものではない。毎日のことに「またとない」と思うのは無理があって、わたしたちは「明日死ぬかもしれない」と思うよりも「明日はなにをしようか」と思う。それをよくないことだというのはやはり無理があり、さらには「毎日のこともまたとないと思って大切にしよう」といったところで同じである。
「心がまえ」とは、来たるべきものに対して為される備えである。
日常において来たるべきものとは、非日常である。非日常に対する「心がまえ」は日常のうちで為されねばならない。それゆえ、そのための日々の稽古がある。あるいはそのための日々の修行がある。「一期一会」は茶道の言葉であるから、それがどういったものであるか、いまや明らかであると思う。

わたしは思う。もっともすぐれたものに会う機会があるならば、わたしはどのような人間であるべきだろうか。