2018/09/02
1692.
パソコンが壊れたから、せっかく作ったこれも盛んでない。直せばいいのだけれど、多くのことをなんとかなると思ってるふしがあって、そのために多くのことが野ざらしにされていて、世間をとても真面目に生きている人たちにとっては、なにか見てはいけないもの、親が子どもの目を伏せさせたくなるようなものが天の下で白目を向いているのだ。だから、直せばいいというのだけれど、それはむずかしいのだ。いま生きている社会が正しいと思うと、全く別の社会を判定するのはむずかしくなる。この社会では子を捨てるというのはそれがなんであれ法の裁きを受けるのだけれど、別の社会ではそういう風習がある。相対的な知見は今や何も珍しいことではない。
でも私はそんな大きなことを言っているのではない。私はもとより気ままに生きている人だから、多くのことがらに関心を待つけれど、ある時その糸がプツッと切れると、どうでもよくなったりする。ただそれだけのことで、その糸がいつ切れるかなんて分からないけれど、一応は必死に切れないように努めはするし、糸から伝わってくるものを忘れることはない、たぶん。むかしは気ままに生きていて、何でもかんでも忘れるもんだし、すべてがどうでもいいとか思っていたところがあったかもしれないけれど、そうではなかった。だから、それだけ私も気ままによく生きてきた、と言っていいんじゃないだろうか。
ちなみに私は相対的に解決していくことよりも、比類のないものに向かって解決するほうが好きだ。人それぞれだなんて、みんな知ってる。いろんな生き方があるだなんて、みんな知ってる。でもみんな、このままでいいなんて思ってはいない。いろんな生き方のもとで、より良く生きようとするのだ。だから私もまた、パソコンが壊れたままでいい、もうパソコンは使わないだなんて思うわけもなく、パソコンを起動させようと頑張ってみるかもしれない。ただ、それがいつになるのかは私には分からない。