2019/05/22

1727.2.

自己紹介は苦手だ。

順序というものはときに美しさを感じさせることがあるけれど、はじめましての自己紹介でわたしはそれを忘れてしまう。わたしのたった一つの小さな口から多くのものがいっせいに出てこようとする。ちょうど満員電車のすべての乗客が「次は」自分が降りようとするのに似ている。人は矛盾に突き当たると思考を停止するが、それと同じようにわたしも五十音を口から垂らして、そのまま思考を停止する。伝えたいこと、たくさんあったのに。そうしてわたしは茫然として、頭のなかは渋滞したまま、自己紹介の順番がとなりの人に移るのをながめる。

そんなわたしは特に変わったところのないふつうの人間であるよりも、存在感が薄い。教室に入っても、誰も気づかない。逆にそういうところが好まれるのか、変わった人が近寄ってきて、おもしろそうにわたしを見る。いやいや、と口では遠慮しながらも、かまってくれてありがとうと思う。動物園の来客みたいに、彼や彼女らはガラス越しにわたしを観察して、満足したら手を振って帰っていく。さようなら、でもなんだか、ごめんなさいと思う。

存在感の希薄なわたしでも、たまに真面目で仕事のできる、成熟した人間に見られることがある。わたしがあるとき頼みごとをしたら、頼られて喜ばれたことがあった。わたしが言うことは、ただそれだけでなにか本当であるかのように思われたこともあった。真面目で、人に頼るよりも先に自分で解決する人間だと見なされることは意外なことだが、少なくはない。たしかにわたしは相談や頼みごとを滅多にしないが、それはどちらかというと迷惑をかけたくないとかそういう類いの理由のためで。

それに、わたしは頭の回転が遅い。どれくらい遅いかというと、高校生でも理解できそうな社会的なことがら、経済的なことがらをいまさらやっと理解するほどだ。そのころにはもう、周りは違ったものを見ている。それなのに、それでも、わたしはそこで立ち止まって問う。「理解するってなんだ?」

外見については、手足が細くて妙に長いのでエヴァンゲリヲン初号機とからかわれたことがあるが、たしかに似ていると思った。でも、わたしは手長足長という妖怪がお気に入りだ。ヴィレッジヴァンガードのブックコーナーで水木しげるの妖怪大図鑑という本を読んだとき、どこか血のめぐりが変わるような瞬間があった。それが手長足長だ。以来、手長足長がわたしのルーツかもしれないと、そう思っている。

心のほうも、とても繊細に構成されているように思う。絵を描いたり文章を書くと「繊細だね」と評価される。なんでもかんでも線が細いのはわたしの特徴かもしれない。でも鳥肌の立つような太い線も好きだ。ときに太い線は物理的な感動をもたらす。ちょうど、アンプの重低音が身体中の産毛という産毛を揺らすみたいに。

わたしの心のさらに奥には海がある。だいたいの事柄や出来事はそこへ運ばれ深く沈む。そうしてそれらを静かに受け入れてきた。どんなに複雑な事柄もそこで分解する、組み立てる、愛でる。怒りや悲しみが、喜びや幸せがそれを妨げるとしても、自然は流転し、ちょうど雨がやんで雲間から日の出るように、怒りや悲しみは自然と晴れ、ちょうど太陽が風と雨雲で隠れるように、喜びや幸せは自然と眠り、出来事はおよそ心の奥へと沈んでいく。

海といえば、残響のテロルというアニメの「誰か、海を。」という曲を好きでよく聴きます。





もしかしたら、一年後はいまこのように紹介したわたしではないかもしれない、とも思う。一年という単位で測ることのできるくらいには、自分の成長を年々感じている。