なぜ私は考え、書き続けるか。それは、世界との関わり方を模索する、わたしなりの営みなのか。
かつて哲学は、人間の思索の世界と現実の日常的な世界の乖離を確実なものとしてしまった、と非難された。観念の世界で遊ぶことばは、日々の生活の手触りから遠く離れ、一部の専門家だけが理解できる暗号のようになったという。
なぜ、わけの分からないことを考え、無益な概念を生み出し、自らもそのことを認め、それが哲学だから仕方がないなどというのか。
私は信じている。「哲学は常に理解できなければならない」と。それは、哲学が日常の中からこそ見出されるべきものであり、私たちの生と分かちがたく結びついているから。
だからといって日常の中にとどまる必要はないのではないか、とも思う。